「狼狽」の由来:「狽」は(実は)動物の名前ではない
2020/03/14|Category:雑学
「狼狽」という言葉、よくよく考えると謎ですよね。なんで狼なんでしょうか。狽ってなんなんでしょうか。
「狼狽」の由来が知りたいと思って辞書を引くと、以下のように書かれています。
これはエモい。比翼連理といいますか、狼と狽の関係性につい思いを馳せてしまうような、大変エモい説明ですね。日本大国語辞典だけでなく、大辞泉にも同じ記載があります。
この記述の出典を遡ると、唐代の書物である『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ)に行き着きます。『酉陽雑俎』には以下のように書かれています。
なるほど、確かに「狽」という動物が出てきますね。しかし、気になるのは「狽」などという生き物は、狼狽の説明以外で聞いたことがないことです。そもそも『酉陽雑俎』は奇事異聞集と呼ばれるような虚実相半ばする書物です。そんな本に書いてある語源説を鵜呑みにしていいのでしょうか。それに、この説明、いくらなんでも面白すぎるのでは? 面白すぎていかにも通俗語源説という感じです。
というところで、もう少し信頼のおける学術的な意見を知りたいと思い、検索して見つけたのが以下の論文。
金文明『“狼狽”探源』《上海师范大学学报:哲学社会科学版》1983年4期 (PDFへのリンク)
著者の金文明(1935年-)は上海師範大学の中国古典の先生だそうです。
こういう論文が検索してパッと見つかるので便利ですね。
この論文の主張を以下に要約します。
1.「狼狽」という言葉が初めて出現するのは後漢の末期である。この頃、「狼狽」には2つの意味があった:(1)困窮し窮迫すること、(2)慌ただしく急いでいること。問題は、「狽」という字の意味が、当時のどの辞書にも載っていないことである。そもそも、「狽」という字は単独で使われることがなく、「狼狽」と「顛狽」という2つの双音詞に使われているだけである。
2.中唐になって『酉陽雑俎』で、狼狽の狽は動物の一種であるという説明が登場する。この『酉陽雑俎』の記述は後世に大きな影響を及ぼし、多くの辞書の説明が『酉陽雑俎』の記述に依拠している。
3.しかし『酉陽雑俎』の説明は以下のような点で疑わしい。(1) 「狼狽」という言葉が後漢末期に使われてから、中唐に『酉陽雑俎』が出現するまで、600年以上のあいだ、どの本にもそんなことは記述されていない。 (2) 狽が動物を意味するなら「狼狽」の意味は説明できるが、「顛狽」の意味をどう説明するのか分からない。 (3) 狽が狼がいないと行動できない動物なら、「狼狽」は狼と狽が一緒にいて行動できる状態を表すはずで、それがどうして失敗するという意味になるのか分からない。
4.では狼狽の真の語源はなんであろうか。文選の注には「狼狽,猶狼跋也。」と書かれている。「狼跋」とは詩経の篇名であり、「老いた狼が、進めば自分の首の肉を踏み(=跋)、退がれば自分の尾を踏み、進退窮まり、しかし猛々しさを失わない」という詩である。この詩の言葉がそのまま形容詞として使われるようになり、たとえば三国志で「進退狼跋」というように使われている例がある。さらに、清代の訓詁学者である段玉裁によれば「跋」は「䟺」の古い通用字であり、「狽」は「䟺」が転訛したもので、狼がけものへんであるから狽もけものへんになったものである。この説に基づけば、「顛狽」についても説明できる。「顛沛(=ころぶ)」の「沛」と「䟺」は同音字であるからである。
5.以上のように『酉陽雑俎』の説明は極めて疑わしいものであるが、後世には大きな影響を及ぼした。『酉陽雑俎』の説明から「狼狽」に「悪人が結託すること」という新しい語義が生まれたのである。現代中国語でいう「狼狽為奸」というのはこれのことである。
以上です。
この論文の結論である「狼狽」とは「狼跋」のことである、という説明が正しいのかは判断しかねますが、少なくとも『酉陽雑俎』の説明が語源説として信頼できないということは確かなように思われます。その一方で、狼と狽が助け合うという『酉陽雑俎』の説は、いかにも誰かに言いたくなる、RTしたくなる魅力に満ちており、中国で燎原の火のごとく広まったのも納得が行きます。人間ホラを吹くならかくやるべしといったところでしょうか。
「狼狽」の由来が知りたいと思って辞書を引くと、以下のように書かれています。
(「狼」も「狽」もオオカミの一種。「狼」は前足が長く後足は短いが、「狽」はその逆で、常にともに行き、離れれば倒れるので、あわてうろたえるというところから)
思いがけない出来事にあわてふためくこと。どうしてよいか分からず、うろたえ騒ぐこと。(日本大国語辞典)
これはエモい。比翼連理といいますか、狼と狽の関係性につい思いを馳せてしまうような、大変エモい説明ですね。日本大国語辞典だけでなく、大辞泉にも同じ記載があります。
この記述の出典を遡ると、唐代の書物である『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ)に行き着きます。『酉陽雑俎』には以下のように書かれています。
或言狼狽是兩物,狽前足絶短,毎行常駕於狼腿上,狽失狼則不能動,故世言事乖者稱狼狽。
(ある説によれば、狼と狽は二種の動物であり、狽の前足は大変短く、行動するときは常に狼の足の上に乗る。狽は狼がいないと動くことができないため、「事乖(=物事が失敗に終わること)」を狼狽と言うのである。)
なるほど、確かに「狽」という動物が出てきますね。しかし、気になるのは「狽」などという生き物は、狼狽の説明以外で聞いたことがないことです。そもそも『酉陽雑俎』は奇事異聞集と呼ばれるような虚実相半ばする書物です。そんな本に書いてある語源説を鵜呑みにしていいのでしょうか。それに、この説明、いくらなんでも面白すぎるのでは? 面白すぎていかにも通俗語源説という感じです。
というところで、もう少し信頼のおける学術的な意見を知りたいと思い、検索して見つけたのが以下の論文。
金文明『“狼狽”探源』《上海师范大学学报:哲学社会科学版》1983年4期 (PDFへのリンク)
著者の金文明(1935年-)は上海師範大学の中国古典の先生だそうです。
こういう論文が検索してパッと見つかるので便利ですね。
この論文の主張を以下に要約します。
1.「狼狽」という言葉が初めて出現するのは後漢の末期である。この頃、「狼狽」には2つの意味があった:(1)困窮し窮迫すること、(2)慌ただしく急いでいること。問題は、「狽」という字の意味が、当時のどの辞書にも載っていないことである。そもそも、「狽」という字は単独で使われることがなく、「狼狽」と「顛狽」という2つの双音詞に使われているだけである。
2.中唐になって『酉陽雑俎』で、狼狽の狽は動物の一種であるという説明が登場する。この『酉陽雑俎』の記述は後世に大きな影響を及ぼし、多くの辞書の説明が『酉陽雑俎』の記述に依拠している。
3.しかし『酉陽雑俎』の説明は以下のような点で疑わしい。(1) 「狼狽」という言葉が後漢末期に使われてから、中唐に『酉陽雑俎』が出現するまで、600年以上のあいだ、どの本にもそんなことは記述されていない。 (2) 狽が動物を意味するなら「狼狽」の意味は説明できるが、「顛狽」の意味をどう説明するのか分からない。 (3) 狽が狼がいないと行動できない動物なら、「狼狽」は狼と狽が一緒にいて行動できる状態を表すはずで、それがどうして失敗するという意味になるのか分からない。
4.では狼狽の真の語源はなんであろうか。文選の注には「狼狽,猶狼跋也。」と書かれている。「狼跋」とは詩経の篇名であり、「老いた狼が、進めば自分の首の肉を踏み(=跋)、退がれば自分の尾を踏み、進退窮まり、しかし猛々しさを失わない」という詩である。この詩の言葉がそのまま形容詞として使われるようになり、たとえば三国志で「進退狼跋」というように使われている例がある。さらに、清代の訓詁学者である段玉裁によれば「跋」は「䟺」の古い通用字であり、「狽」は「䟺」が転訛したもので、狼がけものへんであるから狽もけものへんになったものである。この説に基づけば、「顛狽」についても説明できる。「顛沛(=ころぶ)」の「沛」と「䟺」は同音字であるからである。
5.以上のように『酉陽雑俎』の説明は極めて疑わしいものであるが、後世には大きな影響を及ぼした。『酉陽雑俎』の説明から「狼狽」に「悪人が結託すること」という新しい語義が生まれたのである。現代中国語でいう「狼狽為奸」というのはこれのことである。
以上です。
この論文の結論である「狼狽」とは「狼跋」のことである、という説明が正しいのかは判断しかねますが、少なくとも『酉陽雑俎』の説明が語源説として信頼できないということは確かなように思われます。その一方で、狼と狽が助け合うという『酉陽雑俎』の説は、いかにも誰かに言いたくなる、RTしたくなる魅力に満ちており、中国で燎原の火のごとく広まったのも納得が行きます。人間ホラを吹くならかくやるべしといったところでしょうか。
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